イヌイットは基本的に100人未満の集団をつくって暮らしていたが、住んでいた地域にちなんで、ヌナミウトとか、ネツリングミウトなどと呼ばれた。そのような地域集団が、伝統的にアイデンティティ(帰属意識)の最大範囲であって、それ以上の同民族とか、国などという意識は存在しなかった。同じをもつ集団でも常に一つのまとまった集団として活動したのではなく、成員が離合集散しながら季節的移動生活をしていた。冬には、同じ集団の大部分が集まり、共同狩猟や集団儀礼を行なった。権力をもった首長はなく、男性の家長を中心とした家族単位で自主的に行動した。共同行動のとき、その行動にたけている年長の男性がリーダーとなっていたが、人望によって選ばれるため、そのリーダーに従うかどうかは家長の意思次第であった。

 

 社会組織の基本単位は、核家族と血縁関係の親族集団であった。個人の出自は双系であるが、実際的には父系出自の原理がはたらいていた。夫が道具作りや狩猟、妻は服作りや獲物の解体と分配などをするという、夫婦の相互補完関係が生存の条件となっていた。

 

 イヌイット社会全体には、制度化された協力関係、すなわち個人間に結ばれたパートナー関係があった。多くの場合、男同士の関係であったが、女同士のパートナーもあった。自分の属するバンドの生活領域でとれない食料や材料をほかのバンドの人と交換する交易パートナー、同じ名前をもつ名前パートナー、悪気のない、辛辣な冗談を交わすジョーク・パートナーなどがあった。パートナー制で入手困難なものが手に入ることによって、生活基盤を強化し、不測の事態にそなえることができた。

 

 20世紀の前半から政府によってイヌイットを定住させる政策が実施され、1960年代には季節移動の生活をするイヌイットはいなくなった。貨幣経済が浸透する定住村に住むイヌイットの生活様式が大きく変わって、昔ながらの伝統遊びは見られなくなりつつある。ここで採り上げる遊びはおおかた、20世紀の半ばごろから日常生活から消えているが、古老の記憶や「北極オリンピック」により、伝統遊びはあるていど継承されている。そうした事情を考慮して、石運び糸通し野球、数キロのかけっこ老婆などのように、みられなくなりつつある遊びに関しても記述形式を現在形とする。

 

  イヌイットの遊び

 20年の長きにわたって研究してきた極北民族に対するえこひいきもあろうが、イヌイットほど遊び好きな人々はほかにないような気がする。猟の途中でも、簗で魚をとっている間でも、テントでくつろいでいるときでも、老若男女いつでもどこでも遊びに興じてしまう。

 

 ここで注意を喚起すべきは、イヌイットには「遊び」と「労働」という観念を区別する思想はなかったことである。それぞれの遊びやゲームには名前があったが、これは「遊び」だ、これは「労働」だという区分はなかった。私たちが遊びと分類する行動は、イヌイットにとって生きていく上、心理的な対応と行動の技術の学習・向上を促進させるとともに、、社会生活が円満に営まれるための役割を果たしていた(スチュアート1984、スチュアート、岸上1986、1987a、1987b)。つまり、イヌイットの「遊び」とそのほかの行動は表裏一体の関係にあり、遊びは生き抜く術の予行演習であった(Swinton 1978:8)。